最近よく思うんだけど、世の中の変化が目に見えづらくなっている。
昔の変化はちょんまげが長髪になったり、和服がスーツになったり変化が目に見えて分かりやすかったので、時代の変化を感じやすかったんだと思う。
今はどうだ?
けっこうな資産を持っている人も普段着はユニクロ着てたりするから、
今月の家賃さえ払えなくて困ってるユニクロ着てる人
という人との違いがパッと見て分かりづらい。
私が20代の頃、社長は社長っぽい服を着ていたし簡易宿泊所に寝泊まりしている人はいかにもそういう服装をしていたから、見ただけでその人がどの階級に所属している人なのかが分かりやすかったと思う。
今は見た目だけだと、その人がどういう人で何をしている人なのか不明な場合が多い。
服装についても分かりづらくなっているけど、こころのあり様についてはさらに分かりづらくなっていると感じている。
私には高校生と中学生の娘がいるけど、彼女たちが毎日夢中で見ているユーチューバー達の名前を私は知らない。
先日、上の娘がユーチューバーがたくさん所属している事務所が主催したイベントがZEPP TOKYOでやっていたから見てきた、と言うので出演者リストを見せてもらったけど出演者は一人も知らなかった。なのに会場は超満員だったそうだ。
ひと昔前なら、メディアからの情報はテレビを通じて家族が共有できたので、タレントの名前ぐらいは子供と共有できていたんだと思う。
親が子供について知らない事が増えてくると子育てについて不安な気持ちになるのは自然なことかな、と思う。
私がヒアリングしている限りでは幸い娘たちは学校での人間関係で問題を抱えていないようだけど、それだって今後どうなるかは分からない。
ケンカしたり殴り合って血を流していたりすると、治療の手法は明確だから分かりやすいけど、目に見えない心の傷は昨今、増々分かりづらくなっているように感じる。
子供が目に見えづらい心の傷を抱えていることを可視化しようとすると大人が長い時間、子供と同じ時間を過ごしてゆっくりとコミュニケーションの頻度を増やしながら問題を共有して解決の方向に導いてあげるしかないと思っているんだけど、これがなんだか意外ととっても難しい。
私は鈍感力は一流だけど気遣い力は三流なので、そういう私のような普通のおじさんが子供たちの目に見えない傷に気付くにはどうしたらよいのだろうか・・・
どう対処していけばいいのか分からない課題ですね・・・
モデルはキャンディフルーツフォトクラブのなかちゃん。
いつもありがとう。